デザインということば

デザイナーではありませんが、少しデザインに関して思うことを。

社会人になり、​趣味でロゴやフライヤーのデザインをするようになって企画書に作成の仕方も変わってきました。既に何度も繰り返されている話ではありますが、ビジネスの企画書であっても見る方はきれいな方が読む気になるし、好感を持たれる思います。当然ですよね。広告屋などをやっているとやはりそのあたりは敏感に感じます。クソ真面目な企画書を作成しても読まれないなら飛び道具的なものを、という風潮はありますから。

そして、世の流れとして「デザインの力」的なものが見直されるべきとされている、気がする中、色々なものにデザインという観点で修飾が為され、その中で何が良いデザインなのかという議論が当然生まれてくる。というわけで今私がデザインに関して考える際の観点は2つ。

・デザインという言語の適応範囲

・「良い」デザインってなに

デザインとは、何か? この問いに対する答えが、いま変わってきているように思う。「ソーシャルデザイン」「コミュニケーションデザイン」といった言葉に表れているように、今やデザインというものを定義する境界はうすれ、あらゆるものに「デザイン」が求められているからだ。

いま改めて問う、デザインの力 ― NOSIGNER・太刀川英輔のデザイン論。

なんでもデザインデザイン言うようになってますよね正直。見方を変えればなんでもデザインとして言えてしまうから。例えば就職活動だってライフデザインと言えるし、1週間の献立を考えるのだってボディデザイン・ヘルスデザインなんて言えそう。コミュニケーションデザインだってそう。かく言う私も新人研修の際、キャッチコピーで農家は畑のデザイナーなんてこしょばい言葉を生みだしたりしていました。これらはすべて完全に言い方の問題。ではなぜ今まで「デザイン対象」とされてこなかったモノたちが、デザインされるようになったのか。

デザインが必要となる場面

1つは差別化の限界にあるんじゃないか。

技術の向上においてスペックでの差別化が難しくなってきた事業。かつては新しい技術や機能でスペックとして差別化ができた世界で、技術の発達が人々のニーズを超えた場合に、このような状態になるのではないでしょうか。例えばハードディスク。今は外付けハードディスクは1~2テラバイトでも1万円しないで購入が可能です。ではメーカーはそれ以上のものを開発するか、全くしないとは言いませんが、それは一般的には不要です。(キングストンの1テラバイトUSBが高価なことがその結果ですないか)求められていない高度化にコストをかけるより、使用者の好みに合った、例えばカラフルな、例えばキーホルダーになるような製品スペックではなく、使用状況に対応できる変化にコストをかけるようになったのでと。

大げさに言うならば、これらがマーケティングという分野を大きく発展させた要因でもあるのかも。というのも、今までは企業が作る画期的な発明を使用者が受け入れ、社会がそれをインフラ化していく経緯があったけれど、次第に使用者に合わせてカスタマイズされた商品が求められるようになる。それは細分化だし、個性化でもある。

 

あれなんだか脱線しているような。要は、スペックの差別化が難しくなった事業は本質的なプロダクトの差ではなく、それを使用する状況に合わせた生産によってモノを売ることになった。その手段がデザイン。ここで見るとデザインはあくまで本質ではなく、手段ってことになる。まとめると、

ある事業業界において差別化が困難になった場合、プロダクトのスペックの進歩(製品主体)ではなく、使用者の状況を鑑みた生産にシフトが起きる(消費者主体)消費者のニーズをつかむために、マーケティングが発達する。(※マーケティングはモノを売るための仕組みと定義)

    

まぁこういう側面もあるということで。あれ、ということは適応範囲的な意味での議論は全然深化してませんね。デザインは、商業的な観点で言うならば売るための手段として用いられる。そのため、あらゆるサービス・製品に介在することが事実上可能。そしてこれは商業的観点じゃなくてもあてはまるね有形・無形に関わらず、目的のために適した仕様にカスタマイズするという意味で。

では「良い」デザインとは。

口紅から機関車までのレイモンド・ローウィが言っていたの以下は引用。

「良いデザイン」「悪いデザイン」という捉え方をせず、「売れるデザイン」こそが「良いデザイン」だときわめて米国的に考えた。そこでローウィが取った興味深い方法は、「不美人コンテスト法」と呼ばれるものであった。これはたくさんのデザインを消費者に見せて、嫌いなものを投票する。売れるデザインを見つけるためには、多くの人が「嫌い」と感じるものを避ける。そして商品に対する理解が明確なデザインこそが「売れるデザイン」だと決めた。

口紅から機関車までデザインしたローウィが取った興味深いデザインリサーチの方法は、「不美人コンテスト法」と呼ばれるものだった。 引用元:坂井直樹のデザインの深読み

売れるデザインがいいデザインなのはわかる。たしかに商業的観点からもそうだし、前述の商業デザインのマーケティングにあたるような行為も行われてる。

 

では売ることが目的でないものはどうなるのだろう。前述のようにあらゆるものにデザインがなされるということは売れないモノも出てくるわけです。その際はどうやってジャッジを下すんだろうか。

最適化としてのデザイン

私は良いデザインとは、最適化されたものだと思うんです。

その最たる例がアフォーダンス。例えばプレゼンテーション資料を作成する際、出力してクリップで留めるとします。その時、本の様にめくってほしければ横にクリップ留めしますし、上にめくってほしければ上面を留めると思います。当たり前にやっていることだけど、止め方一つで相手にどう使うかが伝わります。そう、伝わるデザインってやつ。

見ただけで何に使うのかわかる、説明書がいらない。その理解を促すのがデザインかなと。デザインに効用最大化を求めた場合、答えはそこにしかないと思っています。(商業的デザイン以外を含む場合)これはあらゆる意味でコストを削減するし、やっぱり最適化っていうのがデザインのなす結果であるべきだと個人的には思う。

そんなわけで改めてデザインという工程について考えてみると、あくまで手段であり、その最も普遍的な目的としては、最適化ないし伝達コストの逓減に求められるのではないかということです。

と、言うわけなのですが、「なんかいい」とか「なんかやだ」とかいう曖昧な概念もデザインにおける大きな価値だと思うんです。言葉で説明できないそこに関しては私は手も足も出しませんし出ません!それはデザインの所与で、素敵な余白です。そして同時に、声の大きな人がこれはいいデザインだ!と言ったら、それはいいデザインになるというとても曖昧なものでもあるのだと思うのです。

最後のフレーズは、イエスタデイをうたってより若干引用です。

    
カテゴリー: NOTE

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